今年の振り返り②

燃え尽き症候群になったのは、これまで100%仕事のストレスのせいだと思っていたんだけれど、私生活のストレスが私のキャパシティを狭めていて、それが燃え尽き症候群に繋がったのでは?と思い始めた。

たとえば100あったキャパシティが、私生活のストレスで80とか70になっていたせいで、早々に限界を迎えたのではないかと。

やってもしょうがない、やりたくない、今までもそういう気持ちになったことはあったけれど、「まぁでもやるしかないし、やるか」「やりたくないけどやるか」と思って、自分の思いとは無関係に仕事を前に進めることが出来たのだけれど、この時は出来なかった。

少しずつ消耗して、相手に配慮する、相手のことを考える余裕を完全に失っていた。

達成感も無くなっていた。終業後の21時に来たメールに書かれている「翌日11時までの回答希望。お客様が待っている。」。翌朝9時にそのメールを見た私。上司にはどんなに遅くとも10時までにレビューを回さないといけない。そういう働き方がすこぶる性に合わなかったし、この手の依頼は何度も繰り返しやってきた。後で気付いたんだけど、11時より後にすることを交渉する余地もあったはずなんだよね。顧客への返信がその日の遅い時間や翌朝になるケースが何度もあったのを見ている。

実は今のチームに移る時に、新しい上司から「追われるタイプの仕事が多いよ」と予告されていたけれど、前のチームの時のような時間単位の指定が無いので、そこはかなり精神的に楽になっている。

仕事の量や内容は、私の年次的に期待されるものでもあったのだろう。しかし、昨年の大崩れから立ち直りきれていない私には、とにかくストレスでしかなかった。大崩れ以来、それまでは自分のキャパシティをちょっと超えるところまで頑張ることにしていたのに、超えるほど頑張ることを辞めてしまったので、当然のようにあらゆる物事が捌けなくなった。

誰のためにもならない(事務)仕事(のようなもの)がしんどかった。実は今も終わってない。私は悪い意味での引きがかなり強くて、時折この手の仕事を引きまくってしまう。

私は自社の製品やサービスにはそこまで関心を持てないのだけれど、それを生み出す人たちには関心があって、自分に出来ることで彼らを支えたいと思ってきた。そんな彼らの仕事を前に進められないことに、ものすごくストレスを感じ、心底この仕事はやりたくないと思ったし、今も思っている。

何があろうとも仕事を前に進めることにコミットし、ラストマンシップを持って誠実に働き信頼を得てきた私は、もう居なかった。それこそが働く私のアイデンティティだったのに。

このように今年は、仕事のストレスで心身がいっぱいいっぱいになってしまい、自分にそして周囲に変化をもたらす余裕を完全に失ってしまっていた。変わり続けることこそが私の人生で、生きがいともいえるものだったのに。

周りから見たら「???」だったと思う。実際、上司もそうだった。ほぼ残業をしない私が、皆が普通にこなしていた仕事でもって病んで、しかもパフォーマンスを劇的に落とすなんて。ストレスで病むということを理解できない職場なのだということに改めて気付かされた一方で、それでも雇い続けてくれたことには感謝している。

来年も仕事のストレスでこんなふうに病むんじゃないかという不安がある。今のチームの仕事と自分がぼんやり描く将来像に乖離があるのではという不安もある。