今年の振り返り①

年始に立てた目標は

不快感や痛みを大事にする

でした。2022年はそういうものに鈍感で、自分のSOSサインに気付けぬまま心身を壊してしまいました。数年ぶりの特大の希**慮(※今はそんなことは思っていません。為念。)と人生初の水も飲めないくらいの強烈な胃腸炎で、ほぼ1ヶ月ダウンしました。水を飲めないとな、皮膚がだんだん乾いていくんだぜ...。

その反省から立てた目標だったのですが、メンタル不調は今年上半期にもぶり返します。働き始めてから何度もメンタル不調になってきた私ですが、この時初めて仕事のパフォーマンスに明らかな悪影響が及び、色々な人に迷惑をかけました。それなのに「ここまで私のメンタルを壊したのはそっち(会社)じゃん。何を言われても知らんわそんなの。」としか思えなかった私。でも、さすがにそういう思考は平時の思考では無いなと思い、立て直しを図るためにとりあえず1週間会社を休みます。

何で病院行かなかったんですかね。去年の春先に心療内科に行って、まぁまだ大丈夫そうね(生活習慣の改善で何とかなりそうなレベル)という話になったので、まだ病院に行くレベルじゃないと思っていたのだろうか。

あ、でも特大の希...が出てきた時は、電話しました。ありますよね、そういう時の電話先。暗い玄関先に座り込んで、テレワークで仕事をしながら、その合間に電話をかけました。

当然、たった1週間休んだだけでは元に戻りません。ただ、この期間中に、自分がどうやら「燃え尽き症候群」の症状に当てはまることを知ることができました。多分そのジャッジは正しくて、仕事に対する諦観に苛まれ、私らしく働けない期間が続きます。

オンラインカウンセリングも利用しましたが、回復を焦るあまり上手く活用することができませんでした

色々ぐぐって調べたところによれば、燃え尽き症候群からの回復はゆっくりで、3-6ヶ月はかかるのだそうです。

ちなみに、燃え尽き症候群についての情報の内容(ネットの記事やYouTubeなど)は日本語と英語で異なり、前者は症状や症状に至る経緯に、後者はそこからの回復に重きを置いているなと思いました。回復期は特に後者をよく見ていました。

この1年は総じて、不快とか痛みのような強い感情を感じることはありませんでした(家族の逝去を除く)。穏やかに緩やかに、ネガティブな気持ち、諦めの気持ちに侵食されていきました。

渦中では、自分がそうなっていることに全然気が付けませんでした。週末の振り返りタイムでも、自分の気持ちを洗い出すことができませんでした。やる気が出なくて、なりたい自分になれなくて。でも、そのための努力もできていなくて。それに何の罪悪感も感じませんでした。

休暇はこまめに取っていて、今年は長めの国内旅行もしました。その時には、こんなふうに自分の気持ちを1歩引いたところから味わい、受け止めることはできませんでした。海外旅行から帰ってきて、ようやく自分と向き合えるようになりました。

私にとって海外旅行は、日常から自分を引っぺがして、自分と向き合うしかない状況・時間を作る大事な機会。自分のペースが一番大事なので、パッケージツアーは使わずに、自分で航空券とホテルを取ります。海外旅行には常に一貫したテーマがあるので、旅先は日本人が少なく、定番の観光地でもありません。

旅行中の私のSNSには、あれを見た・これを食べた・こんなハプニングがあった、みたいなことが並びます。もちろんそういう非日常を楽しむことも旅行の醍醐味だけれど、自省の時間も私にとって本当に大切な時間です。自分を客観的に見て、中長期で物事を考え、そしてこれまでの自分を慈しみ、これからの自分のことを考える大事な癒しの時間です。

強烈な痛みや苦痛、しんどさは無かったけれど、心身が慢性的に炎症を起こしていた1年だったと思います。時々悪化して、その時は気付けるけれど、痛みが過ぎればそれでおしまい、普段も痛みが続いていることには気が付けない。そんな感じでした。

(与えられるもの、期待されるものetc.が変われば、自分の動き方とかも変わるはずなのに、そういうものに自分を上手く適合できなかったのかな、とも思っています。)

(眠れない症状は、加齢のせいもあるのではと思っています。加齢であるかどうかを知るためには、他の原因を取り除かないといけないよね。他の原因は取り除けなかった。それがそもそも何なのか分からなかったからです。)

色々な物事がすべてn=1になってしまっていて、私だけ変、私だけ上手くできない、私だけ...みたいな気持ちになることがよくありました。みんなが経験してきたこと、だから受け入れよう、みたいな気持ちにもなれませんでした。

ジェーン・スーさんがラジオで「みんなそうなの」と仰ってくださったことが、スッと受け入れられたのも、今年の後半になってからだったと思います。

この1年は、実感としては苦しかったわけでも、痛かったわけでもありません。ただ、どうしようもなかった。それに尽きます。

「このままでいいのかなぁ...でもまぁ、やる気出ないからこのままダラダラしよう」という感じで、土日が溶けて無くなる日々でした。

やる気に頼らない仕組み作りをしようと思ったけれど、その仕組みを作って回すやる気が起きませんでした。必要性や緊急性、重要性が実感できなかったから。

変わらない、そして変えられない生活にマンネリを感じながらも、自分には変える力がない、でもこのままは嫌だ、でもどうしたらいいの、でも今日はこのままでいいや、の繰り返しでした。