孤独との付き合い方

ここ数週間、全く人と会話していない。

仕事上の会話、SNSでのテキストによる会話、お店の人との会話を除いたら、まぁゼロだよね。

それ自体は全くストレスではないのだけれど(introvertバンザイ)、何故かとてもストレスを溜めていた。さっき散歩しながら考えてみたのだけれど、「こういう時間を設けてこなかったからだ」とはたと気が付いた。

在宅勤務が始まる前までは、週に一度、時間を取ってその週に起こったことや感じたことをつらつらと書き出していたのだけれど、最近は全くやっていなかった。自宅でやると捗らないから、近所のコーヒーショップで1時間くらいやっていたのだけれど、それもできなくなってしまって。

これまでは、一週間かそれ以上、人と話さないことは私にとっては全く難しいことでも、寂しいことでもなかった。たとえば、私は年に一度、一週間くらい休みをとって旅行をする。その間、必要最低限しか人と会話しない。私の旅行の目的の一つには、日常から自分を無理やり引っ剥がして、自分自身と対話することにある。だから、人と会話しなくても、ものすごく充実していて、次の週からまた日常を始めるためのエネルギーチャージの時間になっていた。

最近はそういう時間を設けてこなかったから、エネルギーが消費される一方で、きちんと充電できてこなかったんだなぁと。ごめんね、自分。

自分の不安な気持ちとかにきちんと向き合えてなかったなぁ。4月から職場が変わり、勝手がわからない中、上司は私をどう見ているのか(逆に向こうもそう思ってるよね)、ようやく繁忙期が終わったと思ったけどまだまだ忙しくて気持ちが休まらない、それを共有できる人もなく、とか。てか、それを職場の人と共有したいって思ってた。雑談ゼロで即、業務上の話に入るからな。知ってる人もいないから、雑談という、何ていうか、ある程度の共通項があっての話が全くできないんだよな。まぁ、時間が解決してくれるんだろうな。こういうのって。

自分を慈しむことができてなかったなぁと。余暇を充実させてくれる外的刺激(主にネット)にばっかり頼りっきりになっていた。受動的になっていて、入ってくる刺激に対して不満を覚えてばかりだったな。そのくせ、刺激を求めて無駄にネットサーフィンしたり、SNSをダラダラ眺めて文句言ったり。

余暇を能動的に充実させることはできていたから気づいていなかったけれど、余暇っていう自分の外側ばかり気にしていて、自分の気持ち、内面のことがおろそかになっていた。

朝晩、10分でもいいからそういう時間を取らないと。家でやるの、本当に難しいんだよなぁ。。試行錯誤の結果、コーヒーショップに落ち着いた経緯があるので。

 

さて、どうしようか。

 

そういうわけで、イチゴをつまみつつ、パックしながら、このブログを書いている。