2019年の振り返り

今年は「professionally and personaly huge for my development」を掲げて、1年を過ごしてみた。年末を迎え、改めて振り返ってみているけれど、正直、hugeじゃねぇなって感じ。思い出せば色々あるかもしれないし、塵も積もれば何とやらかもしれないけれど、hugeではなかった。体調も去年より崩すことも増えたし。焦るなと同じ人から2度言われて、その度に「そんなこと言われたって」と思ったけれど、それは本当に正しかったみたい。焦りばかりが先行して、インプットもアウトプットも大いに不足していたように思う。

 

①仕事

新しい職場に来て1年が経過した。一生懸命アッピールしたけれど、自分が望む機会は得られなかった。評価は他人が決めること、と頭ではわかっているのに、なかなか腹落ちしなくて、それが怒りや焦燥感につながっていった。

それと私は、周囲の環境に相当影響されやすい。悪い意味で。この点について、心を強く持てなかったことをとても反省している。このことは、自分のみならず、誰にとっても良い結果をもたらさなかった。

仕事の成果については、まぁ悪くなかったと思う。物事を逆算して考えられること、確実に仕事を遂行すること、そういった自分の長所をきちんと発揮できたと思う。海外の同僚にも高く評価されたことは特に嬉しかった。文化や言語、バックグラウンドが全く違う人たちにも、自分のスキルが通用するということを知れたのは収穫だった。

 

②英語

Writingに力を入れた年だった。MBA留学専門の塾に行きました。これが結構よくて、文法の細かいところまで気を配れるようになった。自分が書いた文章を添削したりできるようになったし、ネイティブのメールの冠詞とか可算名詞とかそういうもの(今まではSVOCみたいな骨格ばかり気にしていたけれど)も意識して読むことができるようにもなった。

他方、Listeningは課題だらけ。ネイティブの英語が全く聞き取れない。耳にすら入ってこない。TEDとかのクリアな英語じゃなくて、海外ドラマとかそういうザ・会話みたいなやつを積極的に聴こうと思っている。

Readingはまぁまぁ。まぁまぁ過ぎて詰めが甘いというのが実感。日本語だったら最後の最後まで詰めるところ、それが英語ではできていない。何ていうか、ゴールは池の真ん中の小島で、めっちゃ見えているのに渡れなくてもどかしい、みたいな。そんな感じ。

 

③健康

初詣で必死に祈ったけれど、駄目だったわ。具合が悪くて起き上がれない時、「ままならないことってあるんだな」ってぼんやり思っていた。この先も、健康に限らず、自分の意思じゃどうにもならないことが沢山出てくる。そういう時にどう対処するか。考えなきゃって思った。とりあえず、来年の初詣はもっとお賽銭を弾んで、丁寧にお祈りをすることにします。ていうか、仕事量じゃなくて、あれはもうストレスなんだよな。ストレスから来るものだから、ストレスを断つところから始めないと。

私のストレスは、専ら、自分を抑制しすぎるというのと、環境に影響されやすいところから来ている。職場の私は、私であって私ではないので、相当コントロールしている。そりゃ疲れるよなって。人にこう見せたい、という私を作り、私のレピュテーションをコントロールしている。環境については、もうこれはどうしたらって感じなんだけれど、環境にめちゃくちゃ影響されやすい。それこそ、不良の先輩に影響されて、、、とか、悪い人にそそのかされて、、、とかそういうレベルで影響を受けてしまう。いや、別に悪いことはしてないんだけれど、まじで鉄の意思が必要だなって。

 

④読書

転職してから図書館や本屋が遠くなり、すっかり遠ざかってしまった。Kindleで読むだけ。先日、久しぶりに図書館に行ってきたけれど、やっぱりいいね。Kindleだと決め打ちで本を読みに行っているけれど、図書館や本屋は表紙や背表紙、ポップ、そして手に取ってから選べるから本当に楽しい。来年は、忙しい時にあっても、ちょっと無理してでも紙の本を読もうと思う。リラックス効果半端ない。

 

⑤人間関係

自分は人からどう見えているんだろう?と何回か思った。自己開示が不得意だけれど、なるべく頑張ってみているし、それでいいじゃん?それが私だし、って思う日もあれば、それが他人にどういう印象を与えているんだろうと、自分を外から眺めてみたい日もある。

 

⑥勉強

やる気スイッチがどっか行ってしまい、勉強する時期としない時期がくっきりはっきり分かれてしまった。中長期の目標に向かって頑張れるのは、今の時期しかないし、頑張らないデメリットが超でかいから、来年は、その辺りを忘れずに取り組みたい。

 

とりあえずこんな感じ。来年の目標?今年のprofessionally and personaly huge for my developmentをちょっと改変する感じかな。そろそろdevelopしないと本気でまずいので。。

2019-10-02

カウンセラーと話をしてきた。問題はまだ何も解決していないけれど、話すだけでこんなに気が楽になるんだなと驚いている。

文字通り、胸が軽くなった。辛い、嫌だ、腹が立つ、ムカムカする、誰にも言ったことなかったけど、これが本当の私の気持ち。

話しながら、助けてほしい、根本原因にリーチしてほしい、って思ってた。ここに原因があるのはわかってる。でも、自分じゃ辿り着けないし、自分じゃ対処できない。だから助けてほしい。

これから何回かセッションがあるけれど、辿りつきたいところまで行けるよう、頑張るつもり。

 

Inside Out

冒頭、ヨロコビ(Joy)とカナシミ(Sadness)が行方不明になるところでもう泣いた。なぜなら、私自身の喜びや悲しみという感情も、しょっちゅう行方不明になるからだ。

決して、感情が無いわけじゃない。でも、悲しいとか辛いという感情を、心で理解することができない。体調不良という目に見える形にならないと、私は気付く事ができない。

いつも我慢を強いられていると思っている。どうして自分を苦しめる人に配慮しないといけないのか。どうして自分の可能性を狭める人に配慮しないといけないのか。最近はこういったイライラと闘っている。いつ如何なる時も、「職場の人間関係」が退職理由の上位に来るのも納得である。

インサイド・アウトというタイトルのとおり、ヨロコビとカナシミは表裏一体で、最終的には、周りのお荷物で何の価値もないと思われていたカナシミにも重要な役割があることが分った。ハッピーエンド。

 

靴下

古い靴下を捨てて、新しいものを買った。3足990円の黒のくるぶし丈の靴下。

これなら、靴下が互い違いになることを気にしなくていい。色の落ちた黒と紺の靴下を並べて、見比べることもしなくていい。

平日はストッキングかタイツで、靴下を履くのは週末くらい。色のこだわりも特にないので、いちばん無難なものを選んだ。もし、黒の代わりに紺の靴下が3足990円で売っていたら、それを手に取っていたと思う。

靴下に限らず、こだわりの数は年々少なくなってる。社会人になりたての頃は、何も考えずに高い靴、高いワンピース、高いアクセサリーに手を伸ばしていたけれど、最近は、気に入って長く使えるかどうかが物を買う基準になっている。

とはいえ、新しいものを取り入れたり、過去にこだわっていたものを再度手に取る余地は常に残しておきたい。今回のことだって、二度と派手な面白靴下を買わないことの意思表示ではないのだから。

無いもの

自分の名前の漢字の書き順をずっと間違えていたことに気付いた。

明日から正しい書き順で書くけれど、こういうのは気付かないだけで、まだまだあるんだろうな。

鉛筆の持ち方は、小6の時に先生に直された。
箸の持ち方は、高1の時に自発的に直した。
歯並びは、ずっと変だったのを大人になってから自発的に(歯医者に通って)治した。
書き順は、本日気付いて直した。

気付いてよかったという気持ちと、親の仕事〰〰〰っていう気持ちと、いつまで親のせいにするのかという気持ちと、羞恥心と一抹の虚しさと。

2019-01-10

今日は何故か孤独が堪えます。理由はわかりません。寒いからでしょうか。

こういう気分の時は、アドレス帳の連絡先を一つ一つ消していったりしていたのだけれど、もはや最低限まで減ったので、もう消せない。SNSの投稿も消すし、何ならアカウントごと消したりする。

孤独が嫌なのに、孤独になる方向に突き進むのが私。意味わからないね。

1月、仕事以外で他人とコミュニケーションしてないことに気が付く。会社以外のコミュニティに入っていない。そして会社というコミュニティからも距離を置いている。ああ、孤独。

友達もいないし、いや、過去の積み重ねの当然の帰結たと思うのだけれど、これってどうなの。

こういうときに、人に連絡しようとはならなくて、自己啓発本とか仏教の本読み始めるからね。どんどん内に籠もっちゃう。悟り拓くのか?

つまんないの。