予定では、今頃は次の仕事に関連する本を読み、勉強の体制を整え、図書館通いもしているはずだった。それなのに全然そんな気が起きない!本を開きたい気持ちにならない。今、ブログのカテゴリを整理しているところなんだけど、仕事に関するものをどうリネームするかとても迷っている。あれかな、米とかにする?生活に必要ということで…。
仕事、働く、労働、キャリア、成長...そういったキーワードに対する嫌悪感がすごい。たつきを立てるためには必要だと分かってはいるものの、仕事で成長!とか、仕事で自己実現!とか、そういう気持ちが全く起きない。これは週末や特に長期休暇の時にありがちなサザエさん症候群的なものなのか、それとも自分の人生の優先順位の組み換えが起きている過渡期だからなのか、少し考えてみたい。
仕事で成長したいという気持ちは、確かにあった。社会人大学院に進学した理由の一つは、「どんな仕事が来てもreadyでいたい」だし、転職する時には「これまでの1.8倍くらい負荷をかけたい」と本気で思っていた。
仕事は好き。新卒の頃は、成果を出して上司や周りの人に認められるのが嬉しかった。え、成果を出すだけで認められるの!?社会チョロい!って本気で思っていた。10代の頃、父親から「社会は厳しく、今のお前なぞ渡っていけるはずがない」的なことをずっと言われていた私。理不尽なことも沢山言われたけれど、養われている身としては反論ができず、ずっとモヤモヤを抱えていた。
ところが、会社では成果を出せば認められるし、理不尽なことも言われないし、社会ってマジでチョロいな!って思っていたんだよね。学業を途中でドロップアウトした父親は、多分、ものすごく苦労して家族を養ってきたのだと思う。彼の目線で見た社会は確かにそうだったのだろう。でも私は違う、違うんだ!という謎の優越感と万能感が当時あった。
自分で色々考えて、人の手も借りながら、成果を出してきた。チャレンジングで楽しくて、もちろん、その過程でしんどいことや辛いこと、腹が立ったこともあったけれど、総じて楽しかった。基本的に私は、常に上司のために働いてきた。この人の成果になれるように、よく考え、手を動かし、人を巻き込んで働いてきた。
でも、様々状況が変わり、自分のために働かないといけなくなった。自分のために働くとは?この戸惑いが解消できずに今に至っている。
仕事は生活のたつきを得るためだけのもの、というよりは、どちらかと言えば自己表現や自己実現の一種だったと思う。仕事なら何でも良いってわけじゃなかったから。
仕事が生活に優先する日々だったと思う。
新卒から今に至るまで、軽重問わず何度もメンタルの調子を崩している。大爆発して回復できなくなったのはここ2年のこと。「休みたい」「もう何もしたくない」「おりたい」と呪文のように繰り返すようになった。
この先も長い期間働き続けるにあたって、今の働き方だと持たないと思った。少し休んでリセットして、エネルギーをリチャージする必要があると思った。仕事がある状態で休んだとしても、次に働き始める日のことを考えて、気持ちが落ち着かないと思った(燃え尽き症候群に伴う休暇で経験済み)。心がへし折られる出来事もあった。もうここでは働けないと思った。
それまで自分が大事にしてきた色々なことや人をないがしろにする/せざるを得ない日々が続いている中で、「このまま歳を重ねてもいいの?」と自問自答することが増えた。仕事をきっちりこなすために、生活をずっとないがしろにしてきた。ずっと余裕がなくて、疲れていて、眠れなくて。大事な人たちを大事に思う気持ちも、どっかに行きかけていた。これまで仕事で発揮してきた私の良さも、発揮できなくなっていた。思うようにいかず、じれったくて、イライラをつのらせていた。
もちろんこれからも、仕事は一生懸命にやって、できることを増やしていって、自分の付加価値をつけて、チームや会社の成長に貢献したい。my professional career and personal developmentはこれからも追求していきたい。それは嘘偽りのない気持ち。でも、生活を営むことを最優先にして、その中の一つが仕事だ、というふうにバランスを組み替えたいと思っている。