人間らしくなってきた

表情が乏しい、何考えているか分からないと言われ続けること●年、共感?何それ???どうやるの?やり方わからないから本読んで勉強すること●年、ここに来て人間らしい感情が芽生えてきて、自分の変化にとても驚いている。もしかして、人間になれるのか...?なんて。

映画観たり音楽聴いて泣くことはあっても、それはフィクションの世界への想像でしかなく、何というか、あんまり現実味がなかった。現実のものとすることに嫌悪感すらあった。

希薄な家族関係も、それでいいと思ってたし、自分が家族を持つとか有り得ない何それ気持ち悪いって心底思ってた。人との繋がり(正直この言葉は今でも好きではない)も、うわ無理無理ってなってた。

人がそういうものを持つことは全然ウェルカムなのに、自分の問題として捉えると、何かもうそれだけで無理だった。

最近、そういう関係性に嫌悪感を抱きながらも、求めている自分がいることに気が付いた。私のclosedな世界に取り入れてみたいなって。

もしかすると、ここ何回か書いてる暇や刺激の話とも共通するものなのかもしれない。じゃあどうしよう、っていうのはまだ無いけれど。

フィクションじゃなくて現実のものとして、誇張や矮小とか偏見とか何のフィルターもかけないで、受け止められるようになってきた。

自分の進歩にびっくり。こんな日が来るの?来ちゃったの?

このブログのかなり前の記事で、カウンセラーとのダイアローグを機に、24歳にしてようやく「何もない自分を肯定できた」と書いた。ああ、ようやく自分を語る言葉を手に入れたんだと。そこからまた何年か経ったけど、こんな、じんわりとしたあたたかい達成感をまた味わえるとは。

私、頑張ったなぁ。昔からこういう感情めいたものは人の何周もビハインドで(比較するものじゃないけど)、今更感もなきにしもあらずだけど、こんなふうに少しずつ私の人生に明かりを灯していけるのは、とても素敵なことじゃなかろうか。