farewell

長くお世話になっていたカウンセラーがいたのだけれど、
諸般の事情により、この間が最後のカウンセリングだった。

新卒1年目の秋、その頃は本当に四面楚歌で、誰ひとりとして頼れる人もなく、
殆んど毎日泣きながら帰っていた。

その頃に出会ったカウンセラー。

その人は、"今の私がどうやったら生きやすくなるか"についてかなりの
時間を割いてくれた。

誰のことも悪く言わない人だった。

当たりのきつい人がいる、こういうことを言われた、こういうことが辛かった、
そうだね、大変だったね、あなたはよく頑張っているよ。

最初はこういうコミュニケーションも取れなかった。
行ったのはいいけれど、ずっとだんまりを決め込んでいた日もあった。

本当に辛いときは、口数も少なくて、単語しか言えない日もあった。
自分でも、どんよりした灰色の空気を背負ってるなって感じられるくらいだった。

別に、承認欲求!承認欲求!みたいなことは求めていなかったけれど、
何をやっても駄目な時だったから、"何もない私をただただ肯定してもらえる"安心感に、ふっと力が抜けたことを覚えている。それが嬉しくて、カウンセリング帰りに泣いたこともあった。

過去の私は、いじめられたり、親とうまくいかなかったりして、正直いまでもこの辺をうまく消化できていない。

そういう不安定な土台の上に今の自分を築くことにやや不安があったけれど、"今を生きやすく"って考えたら、そういうことに構っている余裕はないなって。

段々、色々話せるようになってきて。
段々、ネガティブな相談からポジティブな相談をするようになって。
そうすると、カウンセラーも嬉しそうに私の話を聴いてくれて、私も嬉しくなった。

時々、カウンセラーがいなくなったらどうしようって考えてみたりした。

・・・そんなことを考えると、どうしようもなく寂しくなってよく泣いていた。

いなくなるなんて有りえないし、身内が死ぬより耐えられないって思ってた。


そうこうしているうちに、お別れの日が来た。
実のところ、この先もお世話になろうと思えば出来るのだけれど、よっぽどポジティブな相談じゃない限り、行かないと思う。

最後の日は、これまで相談してきたことの総括だった。
この先ひとりで、カウンセラー無しで生きていくには、どうしたらいいかっていう確認をした。

こういうときはどうしたらいいの?
どう考えたらいいの?

ということを1つ1つ確認していった。

最後の日の1つ前のカウンセリングでは、あまりに突然すぎたから
泣いてしまったけれど、この日は泣かなかった。ただ、顔はちゃんと見れなかった。

ありがとうございました、って言えたけど、ちゃんと伝わっただろうか。
気恥ずかしくて、さらっと言ってしまったけれど、私がどれだけ救われたか、ちゃんと伝わっただろうか。

最初の頃は、カウンセラーだけが拠り所で、カウンセラーしか居なかったけれど、段々、とはいえまだまだだけど、少しずつ自分で何とかできるようになってきた。

「帰ってきたドラえもん」の、のび太くんの気持ちが、少し分かった。
私もひとりでジャイアンに立ち向かわなきゃいけない日が来る。
これまではカウンセラーのひみつ道具で闘ってきたけれど、これからは自分の力で
闘わないといけない。

それはもちろん自分のためだし、カウンセラーに安心してもらうためでもある。


もう少ししたら、カウンセラーから教わった色々なTIPSをまとめようと思う。
言語化しておいたら、この先もきっと役に立つと思う。

こうやって書いている今、ぼたぼた泣いているけれど、悲しいからじゃない。
何て言ったらいいか分からないけれど。