2020-04-27

仕事中にイラッとした回数を数えてみた。

9回。

 

PCが遅いなどのシステムトラブルで3回。

他人に対する不満で6回。

どれも1分も持たないイライラだった。ただ、このうち1回はかなりイラッとした。机をばーんと叩きたくなった。とはいえ、どの件も瞬間的なもので、引きずってはいない。分析するには、何日か継続してカウントしてみる必要があるなと。

 

マルチタスクをやめてみた。

急ぎの案件で、どうしても複数の業務を並行してやる必要がない限りは、シングルタスクで過ごしてみた。頭の疲れがものすごく減った。スピード感も、それほど落ちてない。むしろこっちの方が良くね?って思った。人よりもマルチタスクできる方で、何かそれを良いことだと思ってきたけど(それが有益な局面もあるけど)、数が増えすぎると、やっぱり気が散るし、効率よく行ったり来たりができなくなる。いやほんと、頭の疲れが激減。脳のリソースを効率よく投下出来たような気がする。まだ1日しか試していないから、果たして本当に再現性があるかどうかは分からないけれど、とりあえず今週はこんな感じで仕事をしてみようと思う。

きっとメールチェックも、回数を減らしたら良いんだろうけど、これは減らせないな。上の人のメールに即レスできないのは、自分の在宅勤務においてはあんまり良くないと思う。異動即在宅勤務で、職場における信頼性の構築がまだ十分にできてないし。途上だし。

2020-04-26

朝は8時台から勤務開始、その後20時近くまで勤務。これを3週間やってる。

苛々を溜め、カリカリを抑え。勤務終了即風呂、ストレッチして勉強、就寝。たまに夜の散歩へ。

健康的じゃない。

マルチタスクが極まってきている。たとえば10の仕事を並行してこなさなければならないとして、以前は最優先の3をやりつつ、次点の2をとにかく自分でボールを持たないよいクイックに捌き、そして最も優先順位が落ちる2を隙間時間で少しずつ整理して次への下ごしらえをしておく。残り?知らん。週の中でも、忙しい日とゆったり余裕を持って業務に取り掛かれる日があって。早く帰れる日は、そのまま早く家についてのんびり過ごすこともあれば、服を見たりエステに行くことも。

今?7をとにかく並行して最優先で進める、終わるとまた次の7がやってくる。優先順位が低いものは着手する機会もない。だからといって、分担する人も無く。土日にやればきっとできるんですけどね。。でもそういうことはしたくない。。私は頼られているのか、いいように使われているのか、よくわからない。過去何度も、それで疲弊してきた。ここらで働き方を変える必要がある。

そして今週は、むちゃくちゃ苛々して、ものすごくキレた。なんで、自分で調べろや、急いでんなら空いた時間でやれることあるだろう、なぜやらない、そのしわ寄せが誰に来ると思ってるんだ。などなど。いやー、自分でもあんなに怒りがふつふつとわいてくるなんてびっくり。

在宅勤務、人に質問することへのハードルがものすごく高い。ちょっと声かける、ができない。

色々のことを整理する時間がほしい。毎日が嵐のように過ぎていく。

私は、自分をすり減らすような働き方は二度としないと決めた。だから、ここで流されっぱなしではいけない。

 

というか、今までの働き方を、本当の意味で改める必要があるってことだよなぁ。時間じゃなくて、もっと、もっと本質的なところ。私のロールモデルの先見性よ。彼女のように働けるようになりたい。ああ、頑張ろう。頑張りすぎない程度に。

2020-04-21

今朝、目覚める直前、仕事の夢を見ていた。

そのせいか、朝からずっと疲れていた。

 

溜まったメールをちらっと見ると、心拍数が上がる。

火曜の朝も、月曜の朝みたいだった。

 

午前中はずっと、過呼吸が出る直前のような感じがしていて、えらくしんどかった。調子に乗ってメールをダダダダと打つと、それでまたしんどくなる。本当にしんどかった。明らかにストレスのせいなんだけど、この時期に、しんどいから午前中休みますとはさすがに言いづらかった。

午後になってようやく仕事も落ち着いて捌けるようになった。そして今に至る。自律神経を整えるべく、毎日ヨガかピラティスをしているけれど、今朝はだめだった。もしかすると、日頃きちんと体を動かしているから、この程度で済んだのかもしれない。

ここ2週間、毎日がとてもとてもゆっくり過ぎていく。その中でも自分のやるべきことにきちんと取り組めているけれど、何ていうか、睡眠時間以外に休む時間が十分に取れてないんだよなぁ。

自分に頑張れ頑張れって言うのにも、限界はあるんだよなぁ。

2020-04-20

月曜の朝ほど、胸がざわつく時間帯もない。

在宅勤務を始めてから、月曜の朝の緊張感が半端ない。

金曜の夜にパソコンの電源を落としてから、一体何件のメールが来たんだろうと思うと、ものすごく心拍数が上がる。午前中は、大量のメールを眺めて、対応の優先順位を決めて、その中でも取っ掛かりやすいものから着手していくはずが、それもなかなか難しい。

何ていうか、腰を落ち着けてじっくり検討したいものがどんどん後回しになってしまっている。「さぁこの時間はこれを仕上げるぞ」と思っても、色々なことが飛び込んできて全く終わらない。もちろん、優先順位がその時点でそれほど高くないから、まぁ何とかなっている一面もあるけれど。

それにしても、非対面のコミュニケーションはなかなか難しいな。相手がどれだけわかっているかが読めない。かといって、あまりにも些末な事項について、オンラインでFTFで話をするのも無駄だし。

今日はこの時間まで、朝の時間のざわざわとした気持ちを引きずっている。気圧かなぁ。気圧だよなぁ。うん、気圧のせいだ。

大体のことには目処がつけられたし、今日も私は頑張った。

おしまい。

孤独との付き合い方

ここ数週間、全く人と会話していない。

仕事上の会話、SNSでのテキストによる会話、お店の人との会話を除いたら、まぁゼロだよね。

それ自体は全くストレスではないのだけれど(introvertバンザイ)、何故かとてもストレスを溜めていた。さっき散歩しながら考えてみたのだけれど、「こういう時間を設けてこなかったからだ」とはたと気が付いた。

在宅勤務が始まる前までは、週に一度、時間を取ってその週に起こったことや感じたことをつらつらと書き出していたのだけれど、最近は全くやっていなかった。自宅でやると捗らないから、近所のコーヒーショップで1時間くらいやっていたのだけれど、それもできなくなってしまって。

これまでは、一週間かそれ以上、人と話さないことは私にとっては全く難しいことでも、寂しいことでもなかった。たとえば、私は年に一度、一週間くらい休みをとって旅行をする。その間、必要最低限しか人と会話しない。私の旅行の目的の一つには、日常から自分を無理やり引っ剥がして、自分自身と対話することにある。だから、人と会話しなくても、ものすごく充実していて、次の週からまた日常を始めるためのエネルギーチャージの時間になっていた。

最近はそういう時間を設けてこなかったから、エネルギーが消費される一方で、きちんと充電できてこなかったんだなぁと。ごめんね、自分。

自分の不安な気持ちとかにきちんと向き合えてなかったなぁ。4月から職場が変わり、勝手がわからない中、上司は私をどう見ているのか(逆に向こうもそう思ってるよね)、ようやく繁忙期が終わったと思ったけどまだまだ忙しくて気持ちが休まらない、それを共有できる人もなく、とか。てか、それを職場の人と共有したいって思ってた。雑談ゼロで即、業務上の話に入るからな。知ってる人もいないから、雑談という、何ていうか、ある程度の共通項があっての話が全くできないんだよな。まぁ、時間が解決してくれるんだろうな。こういうのって。

自分を慈しむことができてなかったなぁと。余暇を充実させてくれる外的刺激(主にネット)にばっかり頼りっきりになっていた。受動的になっていて、入ってくる刺激に対して不満を覚えてばかりだったな。そのくせ、刺激を求めて無駄にネットサーフィンしたり、SNSをダラダラ眺めて文句言ったり。

余暇を能動的に充実させることはできていたから気づいていなかったけれど、余暇っていう自分の外側ばかり気にしていて、自分の気持ち、内面のことがおろそかになっていた。

朝晩、10分でもいいからそういう時間を取らないと。家でやるの、本当に難しいんだよなぁ。。試行錯誤の結果、コーヒーショップに落ち着いた経緯があるので。

 

さて、どうしようか。

 

そういうわけで、イチゴをつまみつつ、パックしながら、このブログを書いている。

最近読んだ本

「うつヌケ」をkindleで買いました。

 

陰鬱な気持ちで毎日を過ごしてた頃のことを思い出しました。

 

仕事もできない、容姿もひどい、おまけに嫌われている。

そんな自分が生きる意味とは、みたいなことをしょっちゅう考えていました。

 

毎朝鏡の前で「私は大丈夫私は大丈夫私は大丈夫…」と暗示をかけ、

往復の電車の中では、脳裏に浮かんでくる真っ黒くて固い脳みそ(と思われる物体)をひたすら溶かそうと試み(空想のくせにこれが全然溶けない)、

夜は布団の中で「寝なくちゃ寝なくちゃ寝なくちゃ…」とこれまた暗示をかける日々でした。

 

今では、「言った方」と「言われた方」の両方の気持ちを考えることができます。

「音楽性の違い(※比喩)」によって、そもそも同じ道は歩けなかったことも理解しています。

 

自分なりの落ち込んだときのリカバリ方法も身に着けました。

対人関係において、ある程度の自己開示も必要であることも知っています。

 

 

…とはいえ、当時の自分にかける言葉、無いんだよなぁ。

 

事態が好転したのは、(勝手に)環境が変わったことが最も大きい。

私には環境を変える力がなかったから。

 

そこからチャンスをつかみ取りにいったのは私の成果だけれど。