最近の自分

先日カウンセラーに言われて思ったことなど。

 

私は話を聞いてほしいと思っているらしい。

分析的なコメントがほしいというよりは、ただ聞いてほしい。

 

「安心して話せる人はいますか?」的なこと聞かれて、

まず出てきたのは、新卒の頃にお世話になっていたカウンセラー。

 

家族でも、友人でも、職場の上司・先輩でもなく。

 

でも、彼/彼女にも言えないことがあった。

今思うと、内緒にしてたくて言えなかったんじゃなくて、言うすべを

持っていなかったんだなと。

 

 

就職直前、親から「何があっても絶対に頼ってくるな(文脈は割愛)」と言われたこと。言われた文脈が若干アレだったので、「あ、この人は信用できない」ってスーッと冷めたのを思い出す。

 

言われた直後、どんな気持ちだったかな。

「あ、いや、頼ろうだなんて思ってないし。」だったか、「あなたが信用してくれないなら私だってあなたを信用しない」だったか。

 

「何があっても田舎には帰れない」「奨学金の返済がある」「会社もうまくいっていない」「でも/だから何としてでもここ(本当は地名が入る)にしがみつかないといけない」

 

って呪文のように何度もつぶやいていた。新卒の頃の自分を振り返ってみると、正直なところ悲壮感漂いすぎてる。

 

本当は、嘘でもいいから(←うじうじしているときによく出てくるキーワードだな)、「何かあったら帰ってきてもいい」って言ってほしかったな。嘘でもいいから。

 

頼る人のいない街で、仕事もプライベートも全然うまくいかなくて、寂しくて、孤独だった。今思うとね。

 

色んな人からしたら傍迷惑な話だけれど、配属1か月目で早くもカウンセリングに駆け込んだ私。

 

1か月目で何言ってんのって感じだけど、仕事、できなかった。その後まる3年は通い続けた。

 

今なら言語化できるけれど、指摘は常に業務に関するものだったけれど、私は自分のパーソナルなことを指摘されているものだと思い詰めてしまっていた。自分をどんどんマイナスしていったら、これ以上ないところまで来てしまって、それでしんどくなった。

 

駄目な自分はここにいちゃいけない➔でも田舎にも帰れない➔田舎には職はない/返さなければならない奨学金がある➔だから何としてでもここにいなきゃいけない

 

気づいたら声が震えるようになっていた。駄目な自分を罰するために、壁に頭をぶつけたり、首筋を目いっぱい抓ったり、ペンで手や足を刺したりしていた。痛かったけど、仕方ないって思ってた。今思うと、その痛いのって、心の痛みを体の痛みに転嫁していただけだよなと。それに、体調にも変化が出ていたのだから、病院行けや…って感じなんだけど。

 

この頃は、空想の中で自分を(censored)こともよくやっていた。痛くない方法を探していたけれど、でも最終的には痛いのは自分への罰だから仕方ないって思ってた。

 

殆んど毎日泣きながら帰った。会社のトイレで泣き、最寄り駅までの途中にあるスーパーのトイレ(人がいなくてきれい)で泣き、駅のトイレでも20分くらい泣かないと電車に乗れないことが何度かあった。

 

誰かにこのことを打ち明けたことはなかった。カウンセラーにも言ったことはなかった。この頃私が言えたのは、「今日こういうことがあった」という事実であり、それに対して「私がどう思ったか」ということは全く言えなかった。というか、事実に対して辛い/悲しいとかそういうのは、全く想起されてこなかった。

 

カウンセラーにはよく話を聞いてもらったと思う。行ったはいいが喋れない日もあったけれど、誰にも頼れない中、行くたび温かい気持ちで満たしてくれた。

 

 

今でこそ「業務上の指摘」「私の受け止め方」というふうに整理できるけれど、当時は「私は嫌われている」「何やっても嫌われる」「どうしたらいいんだろう」ということをずっと考えていた。

 

いや、それは問題の解決には1mmも資するものじゃないし。。

 

だけれども、私は嫌われていると思っていた。だから、「好かれようとした」。愛想笑いをし、お礼のメールに「あなたを慕っています」的な一文を入れたり、お礼のカードに似たような文言を入れてみたり等々。盛大に努力の方向を間違えているけれど、当時はそれしか思いつかなかった。

 

それに加えて、表情が変わらないことを大勢にからかわれてからは、「絶対に気を許してはならない」と強く強く思うようになった。

 

 

どこに転換点があったかは覚えていないけれど、「そんなこと言われても死にはしない」「仕事でもって信頼されるようになろう」「嫌われてもいいから仕事できるようになろう」と思えるようになり、今に至っている。働きながら大学院で勉強し、学んだことを業務に生かせている。

 

というと一応まるく収まった感があるけれど、本稿の目的はこれじゃない。

 

当時は「誰にも頼れない」って思ってた。そんな中でも「頼ってほしい」と言ってくださる方が2人いらしたが、それでも頼れなかった。悪いなって思ったし、何より「何て言っていいか分からなかった」。

 

だから内に内に籠って、良くも悪くも内省的な性格だから、色々なことをかなり思い詰めていたと思う。

 

色々言われて/笑われて、不安で恥ずかしくて、自分は駄目だと思い詰めて、でもどうしたらいいか分からなくて、孤独で悲しくて辛かった。でも、それを人に伝える方法を知らなかった。

 

そういう気持ちを誰かに聞いてもらって、共感してもらいたかった。

正直なところ、今だって、"誰か"に共感してほしいなって思うことがある。

 

でも、もうそういう時期は終わった。何回もこのこと思い出して、思い出すたび涙するような時期は終わった。そして、次は私が誰かを満たしてあげる番だよなぁと思うわけです。