一定の気持ちで

地味に怒られが発生したので、ちょっと落ち込んでいた。

100%自分のせいかというと、「過去なあなあでやってたのが自分のとこで火を噴いた」という感じかな。まぁ、これを収めるのも経験でしょう。

でも、びっくりするくらい落ち込んで動けなくなってしまったから、まぁびっくりしたよね(しつこい)。

活字が目に入らないから、ずーっと漫画読んで映画観て、ちょっとずつまた活字が読めるようになってきた。

ところで、一定の気持ちで向き合うのって、大事なのは分かっててもなかなかやれるもんじゃないなって思った。強い意思がないと、厳しいね。

平日の私は、会社の色々に沢山揺さぶられて、まぁそれを言い訳にサボったりもするわけで。雨が降ろうと槍が降ろうと、脇目も振らずに取り組むことが必要なんだなって、改めて思った。

2018-10-08

やり直すのも一苦労。全然わかってなくてウケる(真顔)。

とはいえ、ふーん、へぇ、そうだったんだ!が沢山あって、大変な道だと思うけど楽しい。

学生の頃といちばん違うのは、咀嚼力が増したことだと思う。しっかり噛み締めて味わうこと、初めて食べるものでも過去の経験から味の想像がつくこと。何かそんな感じ。

2018-10-07

自分の仕事に関する基本書をやり直し始めた。いくつか理由があるのだけれど、一つ挙げるとすれば「自分の脳のキャパシティの限界が近づいてきているのを実感したから」。

個人差のあることとは承知の上だが、20代後半から、広範な分野を体系的に学ぶ力が年々落ちているのを実感している(まだアラサーなのに!)。それを何ていうのかよく分かっていないのだけれど、向き合う体力というか何というか、とにかくもうじき出来なくなる予感がしている。ていうか、実際、年々厳しいわけ、そういうことが。

もしかすると杞憂かもしれないけれど、そういう焦りもあって、今なら、今しか出来ないという、そんな気持ちになっている。

細かいものを見比べて整理するのは私の得意なことではあるけれど、こないだ書いたとおりかなり身を削るうえに、それを今後もやり続けるとなるとまじで寿命が削れていってしまうので、そういうことにならないよう、も少しきちんと知的な技術力を磨きたいと思ったわけ。

あとは、何か急に楽しくなったから。連休中の課題図書にしてた300頁の本、1.5日で読み終わった。再読するから細かい注釈なんかは飛ばしたけれど、「あー良いもの読んだ。面白かった。」って読後にしみじみ思った。どうして学生の頃、そんなふうに向き合えなかったんだろう。ただ、そんな本でも面白くない部分もあったので、まぁ総じてそんな感想だったということで。

ここに来てこんなに面白くなった理由としては、働き始めてから、自分の学んできたそれがどんなふうに社会で動いているのかとか、そういうことが分かってきたから。何か新卒みたいなこと言ってんなって感じだけれど、ほんとここに来て今までの表層的な関わり方では太刀打ちできないと実感し始めたわけで。

そして私の物事に対するファーストアクションは常に「勉強」なので、まぁ、何ていうか今とても波に乗ってる。今ならやれるっていう謎の確信がある。ストレングスファインダーも、learnerの傾向が強いので。強すぎてバランスが取れないこともよくあったけど、近年それも是正されてきている。

いや、ほんとに楽しい。何でか分かんないけど。目標見つけると一直線に頑張れる性格でよかった。

身を削る

得意なことの一つに、複数の情報を並べて頭からお尻までずーーーーーっと頭の中で比較して相互の整合性等々を確認できるというのがある。

ただし、めちゃ身が削られる。すげぇ頭が痛い。帰宅直前によく効く頭痛薬を飲んだというのに。

それと、太っている自分に嫌気が差した。なら太るなって感じだけど、嫌気が差すほど太ったからには、もはや痩せる道しかないよなと。

昼間の光の下だと白くてつやつやな肌も、夜中の電灯の下だと、おめぇ大丈夫か?ってくらいのくすんだ肌になってる。あーこれが老化か。老化なのか。

太るのは簡単

太ることに罪悪感を覚えなくなってきた。まずい。もはや、やるやる詐欺だけれど年内-5kgで安定という目標を立てた。

過去の経験上、-4kgの時は誰にも何も言われなかったけれど、-5kgだと他人から見ても違いが分かるらしい。

アラサーになってわかったのは、10代の頃は太るとすぐ顔とかに肉がついたけれど、今は腹とか二の腕とか、服で隠れる部位にやばいくらい肉がついてまったく落ちないこと。

なんでこんなに太るんでしょうね。。痩せるモチベーション、正直無いんだよなぁ。。

でも、ただでさえみっともない外見をこれ以上悪化させてもいいことないので、痩せます。

とりあえず明日からちゃんと体重測ろ。

人間らしくなってきた

表情が乏しい、何考えているか分からないと言われ続けること●年、共感?何それ???どうやるの?やり方わからないから本読んで勉強すること●年、ここに来て人間らしい感情が芽生えてきて、自分の変化にとても驚いている。もしかして、人間になれるのか...?なんて。

映画観たり音楽聴いて泣くことはあっても、それはフィクションの世界への想像でしかなく、何というか、あんまり現実味がなかった。現実のものとすることに嫌悪感すらあった。

希薄な家族関係も、それでいいと思ってたし、自分が家族を持つとか有り得ない何それ気持ち悪いって心底思ってた。人との繋がり(正直この言葉は今でも好きではない)も、うわ無理無理ってなってた。

人がそういうものを持つことは全然ウェルカムなのに、自分の問題として捉えると、何かもうそれだけで無理だった。

最近、そういう関係性に嫌悪感を抱きながらも、求めている自分がいることに気が付いた。私のclosedな世界に取り入れてみたいなって。

もしかすると、ここ何回か書いてる暇や刺激の話とも共通するものなのかもしれない。じゃあどうしよう、っていうのはまだ無いけれど。

フィクションじゃなくて現実のものとして、誇張や矮小とか偏見とか何のフィルターもかけないで、受け止められるようになってきた。

自分の進歩にびっくり。こんな日が来るの?来ちゃったの?

このブログのかなり前の記事で、カウンセラーとのダイアローグを機に、24歳にしてようやく「何もない自分を肯定できた」と書いた。ああ、ようやく自分を語る言葉を手に入れたんだと。そこからまた何年か経ったけど、こんな、じんわりとしたあたたかい達成感をまた味わえるとは。

私、頑張ったなぁ。昔からこういう感情めいたものは人の何周もビハインドで(比較するものじゃないけど)、今更感もなきにしもあらずだけど、こんなふうに少しずつ私の人生に明かりを灯していけるのは、とても素敵なことじゃなかろうか。

独りは退屈だ

人生って長い長い暇つぶしだなと。
もしかすると明日事故にあうかもしれないし、先のことはまぁ不確実だけれど、そんな印象を持っている。

無為に過ごすつもりはないけど、なんか、暇だ。これをあと何回、何千、何万回繰り返したらいいんだろう。繰り返した先に何があるの?すべてが自己完結。そう思うと怖くなる。

そして段々、衰えていく。身体も精神も。わたし、もう既に何かを体系的に学ぶための体力が落ちてきてるんだよな。びっくりだわ。

趣味はさ、今始めたらあと何十年も楽しめるじゃん。平均寿命に達する頃には満足行くくらい上達してる自信ある。超お得だわーって思えるのにさ、飯の種はそうもいかん。日々右往左往してる。

夜は考え過ぎちゃうから、この辺でやめとく。